『進撃の巨人』という物語において、これほどまでに読者の心を抉り、そして物語の方向性を決定づけた「死」があったでしょうか。
そのキャラクターの名は、サシャ・ブラウス。
食いしん坊で、明るくて、少し天然で、でもやる時はやる弓の名手。
多くの読者にとって「癒やし」の象徴だった彼女の唐突な退場は、単なる悲劇以上の意味を持っていました。
「なぜ、サシャが死ななければならなかったのか?」
「あの時、なぜエレンは笑ったのか?」
「最後の言葉『肉』に込められた本当の意味とは?」
この記事では、サシャの死亡シーンを徹底的に解剖し、その死が残した巨大な影響と、諫山創先生が描こうとした残酷なテーマについて深掘りしていきます。
私自身、何度も読み返す中で気づいた「伏線」や、アニメ版ならではの演出の違いについても触れていきますので、ぜひ最後までお付き合いください。
サシャの死は、終わりではなく、この物語が「少年漫画」から「哲学書」へと変貌するきっかけだったのです。
※ネタバレ注意
この記事には『進撃の巨人』のアニメおよび原作コミックスに関するネタバレが含まれています。
未読・未視聴の方はご注意ください。
この記事のポイント
- ●サシャ死亡は原作105話・アニメ67話「凶弾」。撤退中の飛行船内で発生。
- ●犯人はガビ・ブラウン。彼女の視点では「故郷を蹂躙した悪魔への復讐」だった。
- ●最期の言葉「肉」は、日常への渇望と、叶わぬ未来(ニコロとの食事)の暗示。
- ●エレンの「笑い」は、ハンネスの死と同様、自身の無力感に対する絶望の反応。
- ●父ブラウス氏の「森から出す」という言葉が、作品全体の最重要テーマを提示した。
サシャの最期は原作何巻?死亡シーンの状況とガビの凶弾

まずは、サシャ・ブラウスというかけがえのない存在が、いつ、どこで、どのように散っていったのか。
その事実関係を整理しながら、あの瞬間の空気を追体験していきます。
それは、パラディ島勢力がマーレへの奇襲作戦を成功させ、勝利の美酒に酔いしれていた直後の出来事でした。
死亡が確定する話数・巻数まとめ
サシャの運命が決定づけられたエピソードは、以下の通りです。
- 原作コミックス:26巻 第105話「凶弾」
- テレビアニメ:The Final Season 第67話「凶弾」
この「凶弾」というサブタイトルは、文字通りたった一発の弾丸が、調査兵団の、そして読者の心を撃ち抜いたことを表しています。
特に26巻は、表紙こそエレンとアルミンが対峙するような構図ですが、中身を開けば、これまで共に戦ってきた仲間の喪失という、あまりにも重い展開が待っています。
アニメ版の演出も秀逸でした。
それまでの戦闘シーンの激しいBGMが一転、飛行船内での静寂、そして乾いた銃声。
声優の小林ゆうさんの演技は、最期の瞬間の「生々しさ」を極限まで表現しており、視聴者に強烈なトラウマを植え付けました。
サシャの最期の場面(どこで起きたか)
サシャが命を落としたのは、戦場の最前線ではありません。
作戦が成功し、敵地レベリオから撤退する「飛行船の中」でした。
このシチュエーションこそが、サシャの死をより残酷で、やるせないものにしています。
直前まで、ジャンやコニー、そしてサシャたちは「生き残った」「勝った」と互いの無事を喜び合っていました。
「今日の晩飯は何だ?」と軽口を叩き、これからの未来について希望を抱き始めた、まさにその瞬間。
一番気が緩み、一番幸せを感じていたその一瞬の隙を突かれたのです。
戦場での死であれば、覚悟もできたかもしれません。
しかし、安全圏だと思っていた場所への「死神(ガビ)」の侵入は、戦争に安全な場所などないことを突きつけました。
サシャ死亡シーンの時系列整理
混乱しがちな当時の状況を、分刻みのような精度で整理してみましょう。
| 状況 | 詳細 |
|---|---|
| 撤退と歓喜 | 調査兵団が飛行船に帰還。ハンジがエレンを拘束する裏で、104期生たちは生還を喜び合う。「一番やりたくないこと(戦争)」が終わった開放感に包まれる。 |
| ガビの決意 | 地上ではガビが怒りに震え、立体機動装置を奪って飛行船を追う。ファルコがそれを止めようとするが、ガビの殺意は止まらない。 |
| 侵入と発砲 | ガビとファルコが飛行船に侵入。ガビは躊躇なくライフルを構え、騒いでいる調査兵団の集団に向けて発砲。 |
| 被弾 | 弾丸はサシャの左胸下(腹部)を貫通。一瞬の出来事に誰も反応できず、サシャは崩れ落ちる。 |
| 反撃と確保 | ジャンが即座に応戦しようとするが、ガビが続けて撃とうとしたところをファルコが庇う。最終的に調査兵団員によって二人は取り押さえられ、暴行を受ける。 |
| 看取り | 別室へ運ばれ、止血措置を受けるサシャ。意識が混濁し、うわ言を呟きながら、コニーとジャンに見守られて息を引き取る。 |
この一連の流れにおける「音」の演出は、アニメ版で特に際立っています。
歓声が消え、ガビがワイヤーを巻き上げる音、そしてライフルの轟音。
サシャが倒れる「ドサッ」という重い音は、多くのファンの耳に焼き付いて離れません。
ガビが撃った理由と動機
サシャの命を奪ったのは、マーレの戦士候補生、ガビ・ブラウンです。
当時、読者の間ではガビに対する凄まじいヘイト(憎悪)が巻き起こりました。
「許せない」「なぜ殺した」という感情はもっともですが、ここで一度、ガビの視点に立って状況を整理する必要があります。
ガビにとって、サシャたちは「一方的に攻め込んできた侵略者」でしかありません。
1. 故郷の破壊
ガビが生まれ育ったレベリオ収容区は、エレンの巨人化と調査兵団の襲撃によって火の海になりました。
彼女にとっての「日常」が、理不尽に踏みにじられたのです。
2. 大切な人々の死
ガビの親友であったゾフィアは瓦礫の下敷きになり、ウドは逃げ惑う群衆に踏み潰されて死亡しました。
そして何より、ガビを可愛がってくれた門兵のおじさんたちが、サシャの狙撃によって目の前で殺されています。
ガビは、サシャが門兵を撃ち抜く瞬間をはっきりと目撃しており、その顔を記憶していました。
3. 教育された正義
ガビは「パラディ島の悪魔は世界を滅ぼす敵」だと徹底的に教育されて育ちました。
その「悪魔」が実際に襲ってきたのですから、彼女にとって反撃は正義であり、義務でもあったのです。

「サシャが好きだからこそガビを憎みたくなる気持ち、痛いほど分かります。でも、『進撃の巨人』という作品は、あえてこの『双方の正義の衝突』を残酷に描いているんですよね……。」
サシャが門兵を撃ったのは、仲間を守るため。
ガビがサシャを撃ったのは、故郷と仲間を守るため(仇を討つため)。
このどうしようもない「負の連鎖」の犠牲者こそが、サシャだったのです。
【進撃の巨人】ガビ・ブラウンは被害者か加害者か?嫌いから理解へと変わる分岐点を解説
最後のセリフの意味(肉…の真意)
サシャが最期に残した言葉は、たった一言。
「肉……」
これを聞いた時、一瞬「えっ?」と思った方もいるかもしれません。
シリアスな場面で食い意地かよ、と。
しかし、この言葉には、サシャというキャラクターの全て、そしてこの物語の悲劇性が凝縮されています。
極限状態での本能と回帰
出血多量による意識混濁の中、彼女は兵士としての自分ではなく、ただの「サシャ」に戻っていました。
「うるさいなあ…ご飯はまだですか…」といううわ言からも分かるように、彼女の心は、訓練兵団時代の、あるいは故郷の森を駆け回っていた頃の平和な時間に戻っていたのでしょう。
死の恐怖よりも、生きる喜び(=食べること)を最期まで求めていた姿に、胸が締め付けられます。
果たされなかった約束
ウォール・マリア奪還作戦の前夜、サシャは仲間たちと「奪還したら牛や羊を飼って、肉を食おう」と約束していました。
その約束は、もう永遠に果たされることはありません。
「肉」という言葉は、未来への希望そのものだったのです。
ニコロへの想い
これは後の展開でより鮮明になりますが、サシャにとって「美味しい料理」は「ニコロ」という存在と結びついていました。
彼女が最期に思い描いた「肉」の向こう側には、きっとニコロが作った料理と、それを囲む温かい食卓があったはずです。
残された者たちの慟哭とエレンの「笑い」の真実

サシャの死は、調査兵団、特に104期生たちの心に修復不可能な傷を残しました。
それぞれの反応には、サシャへの愛と、変わりゆくエレンへの不信感が入り混じっています。
仲間たちの反応(ミカサ・アルミン・コニー・ジャン)
コニー・スプリンガー
サシャとは「バカコンビ」として、常に隣にいた存在。
彼は自分の一部をもがれたような喪失感を味わいます。
だからこそ、サシャの死に際してエレンが見せた反応を許せず、後の「エレンは俺たちの敵ではないか?」という疑念を最も強く抱くことになります。
ジャン・キルシュタイン
指揮官として振る舞っていた彼も、コニーの慟哭を聞き、悔しさを露わにします。
彼はエレンに対し、「お前が調査兵団を巻き込んだからサシャは死んだ」と責めるような視線を投げかけます。
しかし、ジャンは同時に、ガビたち子供を空から放り出そうとするフロックを止めるなど、理性を保とうと必死でした。
サシャの遺体を前にした彼の背中は、あまりにも小さく見えました。
ミカサ&アルミン
言葉を失い、ただ泣き崩れる二人。
特にミカサにとって、サシャは同じ部屋で暮らした家族のような存在。
エレンの変化に戸惑いながらも、サシャの死という現実に打ちのめされる姿は、見ていて辛いものがあります。
エレンが笑った理由の徹底考察
このエピソードで最も議論を呼んだのが、コニーから「最期の言葉は…肉、だと」と告げられた時のエレンの反応です。
エレンは、「くっ…くく…」と乾いた笑い声を漏らしました。
これを見たコニーは激怒し、読者の中にも「エレンは頭がおかしくなったのか?」「サシャの死を悲しんでいないのか?」と感じた人がいたかもしれません。
しかし、過去の描写や心理描写を紐解くと、この「笑い」の真意が見えてきます。
エレンの笑いに隠された3つの意味
- 1. ハンネスの死との共通点(自己否定の笑い)
原作50話(アニメ2期最終話)でハンネスが巨人に食われた際も、エレンは狂ったように笑い声を上げました。
「何も変わってねぇな、お前は! 何一つできねぇじゃねぇか!」と叫びながら。
これは、極度のストレスと絶望、そして「自分の無力さ」に対する自嘲的な反応です。
サシャの死もまた、自分が作戦を強行した結果であり、変えられなかった現実への絶望が、涙ではなく「笑い」として表出したと考えられます。 - 2. 「サシャらしさ」への哀悼
死の間際まで「肉」と言う。
そのあまりにもサシャらしい、変わらない彼女の姿に、エレンはどうしようもない愛おしさと切なさを感じたのではないでしょうか。
「こいつは最期までこいつだったな」という、やるせない感情が漏れた瞬間とも取れます。 - 3. 未来の記憶との照合(考察)
エレンはこの時点で、ある程度の未来の記憶を見ています。
もし「サシャが死ぬ」という未来を知っていたとしても、それを回避できなかった。
あるいは、「サシャの最後の言葉までは知らなかった」ため、予想外の言葉に感情の制御が効かなくなった。
いずれにせよ、運命の奴隷となっている自分自身への嘲笑が含まれている可能性があります。
笑った直後のエレンの表情を、ぜひ見返してください。
歯を食いしばり、悔しさと苦痛に顔を歪めています。
あれは決して、面白がっている人間の顔ではありません。誰よりも深く、サシャの死を悔やんでいる人間の顔です。
ニコロの復讐心とサシャとの関係性
サシャの死後、マーレ人捕虜の料理人・ニコロの存在がクローズアップされます。
ニコロにとってサシャは、自分の料理を「天才だ!」と目を輝かせて食べてくれた、初めてのエルディア人でした。
マーレの教育で「悪魔」だと思っていた相手が、自分の料理で笑顔になる。
ニコロにとってサシャは、戦争という地獄から救い出してくれた天使のような存在だったのです。
後にニコロは、サシャの墓前でこう語ります。
「彼女は俺を戦争から救ってくれた…」
「変な奴だった…誰よりも美味そうに飯を食うんだ…」
この淡い恋心のような関係性が、サシャの死によって永遠に断ち切られたこと。
そして、その原因であるガビが自分の店に現れた時、ニコロがワイン瓶でガビを殴りつけようとしたシーン。
愛が深かった分だけ、憎しみもまた深く燃え上がる。
この残酷な対比も、諫山先生の描く人間ドラマの真骨頂と言えます。
サシャの死が象徴する「森」のテーマと物語の結末

サシャの死は、物語の核心となるテーマ「森」を読者に提示する役割を果たしました。
それは、復讐の連鎖をどう断ち切るかという、人類永遠の課題への問いかけです。
ブラウス家(父親)の名言と「森から出す」意味
ガビとファルコが正体を明かし、ニコロがガビを殺そうとした緊迫の場面。
サシャの父親、ブラウス氏は、娘を殺した犯人を前にして、ナイフではなく言葉を選びました。
> 「サシャが殺されたんは…森を彷徨ったからやと思っとる」
>
> 「世界中が巨大な森の中なんや」
>
> 「せめて子供達はこの森から出してやらんといかん」
>
> 「そうやないとまた同じ所をグルグル回るだけや…」
>
> 「だから過去の罪や憎しみを背負うのは…我々大人の責任や」
この言葉こそが、『進撃の巨人』の答えの一つです。
「森」とは、弱肉強食の世界、殺し合い、奪い合う世界のこと。
大人が憎しみを子供に教え込み、復讐を煽るから、ガビのような「人殺しの子供」が生まれてしまう。
サシャもまた、故郷の森を出て兵士となり、他国の命を奪ったからこそ、その報いを受けてしまった。
この連鎖を止めるには、誰かが歯を食いしばって「許す」しかない。
ブラウス氏のこの高潔な精神は、復讐に燃えていたニコロの心を打ち、そしてガビの「悪魔」という価値観を粉々に打ち砕きました。
サシャは死にましたが、その死を通じて父が示した態度が、ガビという一人の少女を、そしてカヤを、本当の意味で救ったのです。
作者が語ったサシャ退場の背景(制作意図)
作者の諫山創先生は、インタビューなどでサシャの死について言及しています。
実は、サシャの当初の構想では、もっと早い段階(9巻あたり、カヤを助けた村のシーン)で死ぬ予定があったそうです。
しかし、当時の編集者の「ここで死ぬのはあまりにもったいない」という説得により、生存ルートに入りました。
では、なぜこのタイミングで退場したのか。
それは、物語を「勧善懲悪」から「相互理解の不可能性と、それでも対話する重要性」へとシフトさせるためには、読者に愛され、最も「普通」の感覚を持っていたサシャの犠牲が必要だったからでしょう。
サシャの死は、エレンと104期生の決定的な亀裂を生みました。
もしサシャが生きていたら、その明るさで場の空気を和ませ、エレンとアルミンの衝突を防いでしまったかもしれません。
物語を破滅(地鳴らし)へと進めるためには、サシャという「光」を消す必要があったのだと考えられます。
サシャが生きていたらどうなったかIF
悲しい現実ですが、少しだけ「もしも」の話をしましょう。
サシャが生きていたら、その後の展開はどう変わっていたでしょうか?
1. レストランでの乱闘回避
エレンがミカサやアルミンを突き放した「テーブルのシーン」。
サシャがいれば、空気を読まない発言でエレンのペースを乱し、あそこまで険悪にならなかったかもしれません。
あるいは、ミカサが泣く前にサシャがエレンにパンを投げつけていたかも?
2. コニーの暴走阻止
コニーがファルコを母親に食わせようとした時、サシャがいれば間違いなく止めていたでしょう。
コニーもサシャにだけは弱音を吐けたはずです。
3. 最終決戦での活躍
「天と地の戦い」において、ファルコの背中から狙撃するサシャの姿が見たかった。
彼女の弓矢の腕前があれば、もっと多くの仲間を援護できたはずです。
しかし、彼女の不在がジャンを真のリーダーにし、コニーに「人を救う」選択をさせ、ガビを変えた。
サシャの死は、残された者たちを強くしたのです。
この記事の総括

最後に、今回の記事の要点をまとめます。
サシャ・ブラウスの死は、単なる悲しいイベントではなく、物語のテーマを完結させるための重要なピースでした。
この記事の総括
- ●サシャは26巻105話でガビに撃たれ死亡した。
- ●ガビは「被害者」でもあり、戦争の悲劇が生んだ「加害者」でもある。
- ●エレンの笑いは嘲笑ではなく、残酷な運命に対する絶望の叫びだった。
- ●父ブラウス氏の「森から出す」という言葉が、憎しみの連鎖を断つ鍵となった。
- ●サシャの遺志と優しさは、ニコロやカヤ、そしてガビの中に生き続けている。
サシャがいなくなった後の『進撃の巨人』は、重苦しく、辛い展開が続きます。
しかし、だからこそ時折思い出される彼女の笑顔や、彼女が愛した「美味しいご飯」の描写が、一筋の光として輝きを増すのです。
アニメ派の方も、原作派の方も、もう一度あのシーンを見返してみてください。
きっと、初回とは違う感情が込み上げてくるはずです。
そして、サシャが命を懸けて繋ごうとした未来の結末を、ぜひ最後まで見届けてください。

