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​【進撃の巨人】ガビ・ブラウンは被害者か加害者か?嫌いから理解へと変わる分岐点を解説

少年·青年マンガ
イメージ:コミック羅針盤
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「正直、ガビが出てくるたびにページをめくる手が重くなった……」

『進撃の巨人』のマーレ編以降を読んでいて、そんな風に胸が締め付けられるような、あるいは胃の底がキリキリするような不快感を感じたことはありませんか?

私自身、初めて原作でマーレ編を読んだ時、あまりにも一方的で攻撃的な彼女の言動に、強烈な拒否反応を覚えました。

特に、あの「サシャの事件」以来、彼女に対するヘイトはネット上でも最高潮に達し、「ガビ死ね」「うざい」という検索候補が並ぶほどでしたよね。

しかし、物語を最後まで見届け、改めて第1話から読み返した時、諌山創先生がなぜガビ・ブラウンという強烈な「異物」を物語に投入したのか、その残酷なまでに計算された意図が見えてきます。

彼女は単なる「嫌われ役」ではなく、私たち読者が無意識に抱えている「偏見」や「正義の危うさ」を映し出す鏡そのものだったのです。

この記事では、なぜガビはこれほどまでに「嫌い」と言われるのか、その心理的な要因を深掘りしつつ、サシャを殺害したことの意味、そしてエレンとの対比から見えてくる物語の核心について、私なりの考察を交えて徹底的に解説していきます。

ガビという少女を通して『進撃の巨人』の真髄に触れる旅に、ぜひ最後までお付き合いください。

この記事のポイント

  • ガビが読者から強い拒否反応を持たれる心理的要因と構造的理由
  • サシャを殺害したシーンが与えた決定的な影響と読者のトラウマ
  • エレンとの対比で浮かび上がる「正義の暴走」と「洗脳」の恐ろしさ
  • ファルコやカヤとの関わりから見る、ガビの遅すぎた成長と贖罪
  • 海外ファンと日本ファンの反応の違いや、最終的な評価の変化
  • 作者がガビを通して描きたかった「憎しみの連鎖」と「森から出る」ことの意味

※ネタバレ注意

この記事には『進撃の巨人』のアニメおよび原作コミックスに関するネタバレが含まれています。
未読・未視聴の方はご注意ください。

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【進撃の巨人】ガビ・ブラウンが「嫌い」と言われる最大の要因とは

イメージ:コミック羅針盤

まず、なぜここまでガビ・ブラウンというキャラクターは、読者の神経を逆撫でするのでしょうか。

単なる「敵役」であれば、ライナーやアニのように、あるいはジークのように、どこかで「カッコいい」と思わせる要素や、悪役なりの美学が感じられるはずです。

しかしガビには、登場からしばらくの間、そういった「読者に好かれる要素」が徹底的に排除されていました。

ここでは、彼女の性格や行動から、私たちが抱く「嫌悪感」の正体を分解していきます。

ガビが強い拒否反応を持たれる最大の要因

結論から言うと、ガビが嫌われる最大の要因は、読者が長年感情移入し、共に苦難を乗り越えてきた「パラディ島勢力」を、なんの迷いもなく「悪魔」と断罪し、その価値観を一方的に押し付けてくるからです。

私たちはエレンたちの苦悩、壁の中の絶望、そして自由への渇望を何十巻にもわたって見守ってきました。

巨人に食われる恐怖、仲間を失う悲しみ、それでも前に進もうとする意志。

それら全てを私たちは知っています。

そこへ突然現れた少女が、私たちの知る真実(彼らもまた被害者であること)を一切無視して、「お前たちは悪魔だ!死んで当然だ!」「反省しろ!」と叫び散らすのです。

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読者視点だと「何も知らないくせに!」って言いたくなるよね。この圧倒的な「情報の非対称性」が、読者のイライラを加速させる最大の要因なんだと思う。

まるで、必死に生きているだけの被害者に向かって、加害者の理屈で石を投げつけてくるような理不尽さ。

これが生理的な嫌悪感の根本にあります。

初登場時に反感を買った言動とは

マーレ編の冒頭、第91話「海の向こう側」での彼女の初登場シーンを思い出してください。

彼女は次期「鎧の巨人」の継承権を得るために、敵の装甲列車を一人で破壊するという凄まじい戦果を挙げました。

戦場において、機転を利かせて爆弾を投げつける勇気と行動力は、客観的に見れば「優秀な兵士」のそれです。

しかし、その時の態度は自信過剰そのものでした。

「私は優秀」「私が一番」「ファルコたちとは格が違う」というアピールが凄まじく、謙虚さのかけらもありませんでした。

ガビの初登場時の印象

  • 目上の人に対する媚びへつらいと、同格以下への見下し。
  • 自分の成果を誇示し、他者を踏み台にすることへの躊躇のなさ。
  • 戦争を「成果を上げるゲーム」のように捉えている軽薄さ。

このような「鼻につく優等生キャラ」としての造形が、読者の第一印象を決定づけました。

「こいつ、なんか好かないな」という種が、ここで撒かれたのです。

サシャ死亡シーンが与えた決定的影響

そして、決定打となったのが第105話「凶弾」での出来事です。

調査兵団のムードメーカーであり、その食い意地の汚さと優しさで多くの読者に愛されていたサシャ・ブラウスを、ガビは容赦なく撃ち殺しました。

このシーンがなぜこれほどまでに読者の心をえぐったのか。それは「タイミング」と「撃ち方」にあります。

ここがトラウマポイント

激しい戦闘が終わり、調査兵団のメンバーが飛行船に乗り込み、「やっと帰れる」「勝ったんだ」と安堵していた瞬間でした。
コニーとサシャが笑顔で抱き合い、ジャンが呆れながらも安らぎを感じていた、その一瞬の隙。
ガビは立体機動装置を使って飛行船に侵入し、無言で、しかし正確にサシャの腹部を撃ち抜いたのです。

戦闘中ならまだしも、撤退しようとしていた無防備な背中を撃つような不意打ち。

しかも、撃った後に悪びれる様子もなく、むしろ「悪魔を仕留めた!」「ジーク戦士長の敵!」と狂ったように叫び、捕まってからも拘束された状態で喚き散らす姿に、多くのファンが絶望と怒りを覚えました。

サシャの最期の言葉「肉…」を聞いた時の喪失感は、今でも忘れられません。

この瞬間、ガビは単なる「生意気な敵キャラ」から、「絶対に許されざる仇」へと昇格してしまったのです。

原作でこの衝撃的なシーンを再確認したい方は、単行本の26巻をチェックしてみてください。

アニメでは描ききれなかった「間の取り方」や、ジャンたちの絶望的な表情、そしてサシャの冷たくなっていく描写は、漫画ならではの重みがあります。

特に、ガビが引き金を引く瞬間の「黒い目」の描写は必見です。


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視聴者が感情移入しにくい性格描写

ガビの性格は、非常に攻撃的で他罰的です。

何か問題が起きると、まずは自分以外の誰か(主にパラディ島の悪魔、あるいは頼りない味方)のせいにします。

「私は正しい、間違っているのは世界だ」というスタンスは、実は主人公のエレンにも通じるものがあります。

しかし、エレンの場合は「巨人に母を殺された」という明確な被害者としてのスタートがあり、その後の苦悩も丁寧に描かれていたため、読者は彼に共感できました。

一方、ガビの場合は、読者が「いや、それは違うよ」と知っている事実(パラディ島の人々は悪魔ではない)に対して、誤った前提のまま正義を振りかざすため、見ていて痛々しさを通り越して苛立ちを感じてしまうのです。

自己正当化が目立つ行動パターン

特に読者の反感を買ったのが、パラディ島に潜入した後、カヤたちの農場でお世話になっている間の態度です。

食事を与えられ、屋根のある場所で寝かせてもらっているにもかかわらず、彼女はしばらくの間、親切にしてくれる人々に対して殺意を抱き続けました。

「この悪魔どもが、善人ぶって」
「いつか全員殺してやる」

心の中でそう毒づきながら、出された食事を平らげる。

この描写は、恩を仇で返す行為として、日本的な「義理人情」や道徳観念からすると、最も嫌悪感を抱きやすいポイントです。

ファルコが「ごちそうさまでした」と素直に言うのに対し、ガビがふてぶてしい態度を取り続ける対比も、彼女の憎たらしさを強調していました。

子供らしさが裏目に出た場面

忘れてはいけないのが、彼女はまだ12歳の子供だということです。

本来なら「子供だから仕方ない」「洗脳されているだけだ」と同情されるべき年齢です。

しかし、ガビの場合はその「子供特有の視野の狭さ・頑固さ」と「正規兵としての高い戦闘能力・殺傷能力」が悪魔合体してしまっています。

純粋すぎるがゆえに疑うことを知らず、盲目的に教えを守り通そうとする姿。

それが、武器を持ち、大人たち(調査兵団)を殺傷する能力と結びついているため、「手加減できない子供」「話の通じない殺人マシーン」という最も厄介な存在になってしまいました。

正義感の暴走が嫌悪感を生んだ理由

ガビにとっての行動原理は全て「マーレへの忠誠」と「収容区のエルディア人の名誉回復」という正義です。

しかし、その正義はあまりにも独りよがりでした。

  • パラディ島の人間は全員死ぬべき悪魔である(前提の誤り)
  • 自分たちは「良きエルディア人」であると証明しなければならない(承認欲求)
  • そのためには、悪魔を殺すことが最も手っ取り早い手段である(短絡的思考)

この短絡的な思考回路が、読者の持つ「複雑な背景を知った上での倫理観」と衝突します。

読者は「戦争はどちらも被害者だ」という視点を持っているのに、ガビだけが「こっちは正義、あっちは悪」という単純な二元論で突っ走るため、そのギャップがストレスになるのです。

ファルコとの対比で評価が分かれる理由

ガビの評価をさらに下げているのが、同僚であり彼女に好意を寄せる少年、ファルコ・グライスの存在です。

ファルコは、エレンとの対話(病院でのシーン)を通じて、「敵にも事情がある」「海の外も中も同じ人間だ」ということを早期に察知していました。

項目ガビファルコ
思考プロセス教えを盲信し、疑わない疑問を持ち、自分の頭で考える
敵への態度絶対的な殺意と軽蔑理解と対話、和解の姿勢
柔軟性頑固・融通が利かない柔軟・状況に適応する

同じ環境で育ち、同じ教育を受けていながら、なぜここまで違うのか。

ファルコが良い子すぎるがゆえに、「ファルコにできることが、なぜガビにはできないのか?」と、ガビの分からず屋な側面がより一層際立ってしまったのです。

ファルコがガビを必死に守ろうとすればするほど、その原因を作っているガビへの苛立ちが募るという悪循環が生まれていました。

言動と結果が噛み合わないシーン分析

ガビは口癖のように「収容区のみんなを守る」「エルディア人の未来のために」と言います。
しかし、彼女の暴走気味な単独行動がきっかけで、結果的にライナーやファルコを危険に晒すことになります。

特にレベリオ襲撃時、ガビが飛び出したせいでファルコもついていかざるを得なくなり、二人揃ってパラディ島へ連行されることになりました。

「守りたい」という動機と、「危険に飛び込んで周りを巻き込む」という行動が矛盾しています。

周りの大人たち(ライナーやコルト)が常に彼女の後始末に追われ、精神をすり減らしていく構図も、読者をイラつかせる大きな要因でした。

反省や成長が遅いと感じられる展開

物語の中盤、カヤに真実を突きつけられ、ブラウス夫妻に許される場面まで、彼女の「改心」にはかなりの話を費やしました。

読者としては「早く気づけよ!」「いつまで被害者ぶってるんだ!」とヤキモキさせられる期間が非常に長く続きます。

週刊誌や月刊誌で追っていた当時の読者にとっては、数ヶ月〜1年以上も「ガビのわからず屋状態」を見せられ続けたわけで、そのストレスが蓄積されたことも、嫌悪感が定着した理由でしょう。

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【考察】なぜガビは嫌われる役として描かれたのか?進撃の巨人のテーマとの関連性

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ここまでガビが「嫌われる理由」を詳細に見てきましたが、ここからは視点を変えて、作品構造の深淵を覗いてみましょう。

諌山創先生は、なぜあえてここまで「嫌われる要素」を詰め込んだキャラクターを、物語の後半の主役級に据えたのでしょうか?

単に読者を不快にさせるため? いえ、違います。

実は、ガビを嫌えば嫌うほど、私たちは『進撃の巨人』という作品が仕掛けた「差別と偏見の罠」にハマっていると言えるのです。

ガビへの嫌悪感は、作者が意図的に誘導したものであり、その感情こそが、この作品のテーマを理解するための鍵となっています。

マーレ側キャラとしての立ち位置

ガビは、壁の外の世界(マーレ)における「主人公」としてデザインされています。

壁の中のエレンたちが、巨人に怯えながら「自由」を求めて戦ったように、ガビもまた、収容区という鳥籠の中で、世界中からの悪意に怯えながら「家族の安全」と「名誉」のために戦っていました。

彼女にとっての「調査兵団」は、かつてのエレンにとっての「巨人」そのものです。

ある日突然現れ、街を破壊し、大切な人を踏み潰していく理不尽な暴力。

ガビの視点に立てば、サシャを撃った行為は、エレンが巨人を駆逐しようとした行為と何ら変わりない「正当防衛」であり「復讐」なのです。

彼女の存在は、正義が一つではないこと、視座が変われば正義も逆転することを残酷なまでに証明しています。

洗脳教育を受けたキャラとしての背景

ガビの言動の全ては、幼少期からの徹底的なマーレの教育によるものです。

「パラディ島の人間は悪魔だ」「お前たちの祖先が罪を犯した」と教え込まれれば、純粋な子供ほどそれを真実として信じます。

さらに、そう信じなければ生きていけない(収容区での生活が成り立たない)という生存戦略でもありました。

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私たちだって、教科書に書いてあることを疑わずに信じて育ってきたよね。ガビの姿は、教育という名の洗脳の恐ろしさ、そして一度植え付けられた価値観を覆すことの難しさを風刺しているようにも見えるんだ。

思考が極端すぎると感じられる理由

彼女の思考が極端なのは、そうしないと精神が崩壊してしまう環境にいたからです。

自分たちが「悪魔の血を引く」という罪悪感を生まれながらに背負わされている以上、それを否定し、自己肯定感を得るためには、過剰なまでに「善(マーレにとっての)」であろうとするしかありませんでした。

「私は悪魔じゃない、私は善良なエルディア人だ」

そう証明し続けるための強迫観念が、あの攻撃性と、他者(パラディ島)への激しい否定に繋がっているのです。

エレンとの対比で浮き彫りになる問題点

多くの考察で言及されていますが、ガビは「女エレン」として、エレンの鏡像関係として描かれています。

  • 故郷を理不尽に破壊された(エレン:シガンシナ区、ガビ:レベリオ収容区)
  • 大切な人を目の前で殺された(エレン:母カルラ、ガビ:門兵のおじさん・ゾフィア・ウド)
  • 駆逐してやると誓った(エレン:巨人へ、ガビ:パラディ島の悪魔へ)
  • 直情径行で、目つきが凶悪。

私たちがエレンに感情移入し、ガビを嫌うのは、単に「物語の視点がどちらにあったか」だけの違いなのかもしれません。

もし『進撃の巨人』がマーレ側から始まっていたら、私たちはエレンを「残虐な悪魔」として憎んでいたでしょう。

エレンの鏡像であるガビを嫌うということは、ある意味でエレンの持つ暴力性や危うさを否定することにも繋がります。

視点が変わっても受け入れられない理由

理屈では「ガビも被害者」「エレンと同じ」と分かっていても、やはり感情が追いつかない。

これは、私たちが「調査兵団」と過ごした時間の長さが圧倒的に違うからです。

サシャとの思い出、コニーとの絆、104期生の苦労。

それらがある以上、ぽっと出のガビに「私も被害者だ」と言われても、「いや、お前がやったことは許せん。サシャを返せ」となってしまうのが人情でしょう。

この「理屈ではわかるけど、感情が許さない」という葛藤こそが、現実の戦争や紛争がなくならない理由そのものなのです。

感情優先の行動が招いた悲劇

ガビの行動は常にロジックよりも「怒り」や「憎しみ」が先行します。

冷静な判断ができず、猪突猛進する姿は、初期のエレンそのものです。

しかし、物語後半の読者は、エレンの成長(あるいは冷酷な変貌)を見ているため、初期エレンのような未熟さをガビに見せられると、過去のイライラを思い出してさらに苛立ちを覚えてしまうのかもしれません。

ヘイトを集めやすい演出構造

諫山先生の演出も巧妙です。

ガビがサシャを撃つシーンや、カヤに対して暴言を吐くシーン、看守をレンガで殴り殺すシーンなどは、読者の神経を逆撫でするように計算されています。

あえて「可愛げのない表情」「歪んだ顔」で描くことで、読者のヘイトをコントロールしていた節さえあります。

読者に「こいつを嫌いになってくれ」と誘導し、その後に「でも、こいつは間違っていなかったのかもしれない」と思わせることで、強烈な自己矛盾を突きつける手法です。

憎しみの連鎖を体現する存在

ガビは「憎しみの連鎖」そのものを擬人化したキャラクターです。

被害者が加害者になり、また新たな被害者を生む。

サシャがかつて助けた少女カヤが、今度はサシャを殺したガビを殺そうとするシーン(レストランでの出来事)は、この作品のハイライトの一つであり、地獄のような縮図でした。

「森から出る」というテーマにおいて、ガビは「森の中を彷徨い続ける子供」の象徴だったのです。

作者がガビに託したテーマ性

作者はガビを通じて、「悪魔なんてどこにもいない。いるのはただの人間だけだ」というテーマを描こうとしました。

ガビが自分の過ちに気づき、自分の正義が間違いだったと認めて泣き崩れるシーンこそが、この物語のひとつの到達点だったのではないでしょうか。

嫌われ役として描かれた意図

ガビは最初から「嫌われること」を役割として与えられていました。

読者にガビを嫌わせることで、「敵を憎む心理」を体験させ、その後に「敵を知り、理解する過程」を追体験させる。

これは、漫画という媒体を使った壮大な社会実験のようにも思えます。

海外ファンと日本ファンの反応の違い

興味深いことに、海外では「Gabi Gang」と呼ばれる熱狂的な擁護派と、過激なアンチ派で二分されていました。

欧米圏では、キャラクターの行動原理を「環境要因・教育」として分析し、「彼女は洗脳された被害者(Child Soldier)」であると擁護する声が根強くありました。

一方、日本では「生意気」「空気が読めない」という感情的なヘイトが先行しやすい傾向があったように見えます。

ただ、アニメ放送後は、声優(佐倉綾音さん)の凄まじい演技力もあり、「ウザいけど、演技が凄すぎて憎めない」「狂気が乗り移っている」という評価も増えました。

アニメでの鬼気迫るガビの表情や、喉が張り裂けんばかりの絶叫は、DMM TVなどでぜひ確認してみてください。

あのヒステリックな叫び声が、彼女の追い詰められた精神状態を完璧に表現しています。


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同情の余地があると評価されるポイント

物語が進むにつれ、ガビはパラディ島の人々と触れ合い、自分の信じていた「真実」が間違いだったと気づきます。

カヤに「お母さんは何もしていないのに、なぜ殺されたの?」と問われた時、ガビは答えられませんでした。

ここから彼女の崩壊と再生が始まります。

特に、ファルコが巨人化させられた際に、なりふり構わず助けを求める姿は、彼女がただの兵士から「愛を知る人間」へと戻った瞬間でした。

成長後に評価が変わったという声

そして最終盤。

ガビは自分の犯した罪を受け入れ、それでも誰かを救うために銃を取ります。

かつて人を殺すために撃った銃を、今度は人を守るために。

特に印象的なのは、ライナーやアニと共闘し、空を飛ぶファルコの背中から、正確無比な射撃でアルミンを救い出すシーンです。

「対巨人ライフル」という反動の凄まじい武器を、子供の体で操り、一発必中でオカピの巨人を仕留める。

この活躍には、かつて「ウザいガビ」と呼んでいた読者も、「ナイス!」「よくやったガビ!」と拳を握ったはずです。

「嫌いだったけど、最後は認める」という感想が多く見られるのは、彼女が自分の罪と向き合い、そのスキルを正しい方向へ使ったからでしょう。

最終的に受け入れられたかどうかの分岐点

ガビを受け入れられるかどうかの境界線は、「サシャの死を乗り越えられるか」ではなく、「彼女が土下座して謝罪した姿を信じられるか」にあると思います。

彼女が涙ながらにファルコを救おうとし、すべての悪魔呼ばわりを撤回した時、多くの読者の呪縛も解けたのではないでしょうか。

ガビを嫌いと感じる心理的理由の整理

結局のところ、私たちがガビを嫌うのは、彼女の中に「見たくない自分たちの姿」を見るからかもしれません。

自分の正義を疑わず、相手の事情を想像せずに攻撃する姿。

それはSNSで正義中毒になっている現代の私たちにも通じる怖さです。

ガビは、そんな人間の愚かさと、そこから学び直すことの尊さを描くために、絶対に必要なキャラクターだったのです。

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この記事の総括

イメージ:コミック羅針盤

最後までお読みいただきありがとうございました。

ガビ・ブラウンという一人の少女について考察してきました。

最初は私も「サシャの仇!」という感情しかありませんでしたが、何度も読み返すうちに、彼女こそが『進撃の巨人』の裏主人公であり、作者が最も描きたかった「変化」の象徴なのだと気づかされました。

この記事の総括

  • ガビが嫌われるのは、読者の愛するキャラを殺害し、偏った正義を一方的に押し付けたから。
  • 彼女はエレンの「鏡」であり、戦争被害者が加害者になるプロセスを体現している。
  • 「子供の無知」と「兵士の殺傷能力」のアンバランスさが、生理的な不快感の正体。
  • しかし、自分の過ちに気づき、罪悪感に苛まれる過程こそが物語の核心であり、希望である。
  • 最終的には、彼女の成長と変化が「憎しみの連鎖」を断ち切る鍵となり、世界を救う一撃に繋がった。

もし、「やっぱりガビは苦手だな」と思ったままで終わっている方がいれば、ぜひもう一度、マーレ編から読み直してみてください。

結末を知った上で読む彼女の言動には、初回とは全く違う悲哀と重みを感じるはずです。

彼女が叫んでいたのは、誰かを傷つけるためではなく、自分自身を守るための悲痛な叫びだったのかもしれません。

原作の細かい表情の変化や、諫山先生が仕掛けた緻密な伏線の張り方は、やはり漫画版でしか味わえません。

特に26巻から34巻にかけてのガビの顔つきの変化は圧巻です。

憎しみに歪んだ顔から、絶望を知った顔、そして最後に憑き物が落ちたような穏やかな顔へ。

その変化を、ぜひあなたの目でもう一度確かめてみてください。


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サシャのいない世界でガビがどう生きたのか、その目で確かめてください。

 

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